京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』を読んで:生きるモノと生きるコトの哲学的思惟と現実世界



陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず) (講談社ノベルス)
書籍:陰摩羅鬼の瑕
著者:京極夏彦
出版社:講談社


京極夏彦が描く日本的怪奇趣味と人間心理にまつわる自由無碍な思索に満ち溢れた京極堂シリーズを数年ぶりに読み終えた。
前作『塗仏の宴 宴の支度』『塗仏の宴 宴の始末』を読了して、既に2年以上の歳月が流れているが、作家の関口巽、古書肆(古本屋)の中禅寺秋彦、刑事の木場修太郎、探偵の榎木津礼二郎といった御馴染みの登場人物のイメージは全く薄れてはいなかった。

優れたミステリー作家の上梓するシリーズものの最大の特徴は、登場人物のキャラクターやパーソナリティの設定と描写が磐石かつ鮮烈であること、人物を特定する固有名の名辞が強固に特異的なイメージや特性と結合していることではないかと思う。
しかし、読者を力強く引き寄せ、感嘆せしめる作品を書くためには、キャラクターの設定や心理描写のみに全力を傾注すれば良いというわけではなく、ストーリーの秀逸さや感嘆すべき結末、不可能犯罪を解体するトリックの考案や表層的な物語の背景に潜む社会問題や倫理規範といったものがなければならない。
小説や文学として『読者に訴えかける力・読後に何かを物思わせる力』が存在しなければ、作家は長期間にわたって、読者の知的好奇心や感動・感嘆への嗜好、意外性への驚嘆を満足させ続ける事は出来ないだろう。

そして、作品全体を流麗に構成するプロットの構築も、勿論、作家として欠かす事の出来ない構成能力の現れである。けれども、魅力的な人物の創造と人物相互の人間関係が生き生きと描写されてこそ、完成されたストーリーへの没頭と耽溺は深く逃れがたきものとなってゆくのではないかと思う。

ミステリー小説の一般論はこの辺にして、『陰摩羅鬼の瑕』についての感想や書評などを書いていこう。
最後に京極夏彦という作家について私見を述べるならば、昭和のミステリー界の巨星である江戸川乱歩横溝正史の作品を彷彿とさせるような状況設定を巧緻に行える作家であり、近代合理主義のメスを博覧強記の知性で砥ぎ光らせながら、怪奇現象と異常犯罪が生み出す混迷・恐怖・不可思議を手際よく論理的に脱構築する辺りは爽快である。

隠微な閉鎖的空間と複雑な人間関係を前提として展開される犯罪の場面構成、そして、時代がかってはいるが魅力的な人物の創作が出来る作家という意味で、京極夏彦現代日本のミステリー界において特異で稀有な存在感を持つ作家ではないかと思っている。




陰摩羅鬼―――


蔵経の中に
初て新なる屍の気変じて
陰摩羅鬼となると云へり
そのかたち鶴の如くして
色くろく目の光ともしびのごとく
羽をふるひて鳴声たかしと
清尊録にあり


今昔画圖續百鬼巻の中――晦


日本国憲法第14条2項『華族その他の貴族の制度は、これを認めない』の条項によって、現代の日本社会には公的に承認された身分制度や階層秩序は存在しません。
徳川将軍家から天皇家へ国家統治の大権が返還される大政奉還が行われるのと同時に、幕藩体制の解体が廃藩置県版籍奉還によって進められ、四民平等により封建的な士農工商身分制度が否定されました。
明治維新によって日本は急速に近代国家としての体裁や制度を整えていく訳ですが、四民平等は表面的な身分制度の否定に過ぎず、実質的には天皇を頂点とする階層秩序を法的にも承認する華族制度(爵位制度)』が採用されていました。

華族とは、西洋社会で言う貴族とほぼ同義の言葉であり、明治時代の爵位制度は、西洋の貴族制度の位階序列を模倣して『公爵・侯爵・伯爵・男爵・子爵』の呼称と階層序列を用いる事としました。
明治維新を境にしてそれまで長い歴史を通して世襲の支配者階層であった公家と武家を、突然、無位無官で無一文の平民に落とすといった過激な平等化政策を取ることへの政府内部での抵抗や躊躇もあって、華族令が出されたという見方も出来ますが、何より、天皇を頂点とする立憲君主制国家の身分秩序を明文化するという目的の元に華族令が公布されたと考えられます。
天皇家が他の公家・武家の名門よりも抜きん出て高貴で格式あることを示す必要があり、その格差を段階的に分かりやすく提示することが華族制度(爵位制度)成立への大きなモチベーションになったと考えられます。
天皇を最高位とする華族制度の階層序列は、日本社会が天皇主権によって統治される独立した近代国家であるという事を、国内外に対して明確に示すのに重要な制度的役割を果たしたと言えるでしょう。

1869年(明治2年)に、武家・公家の旧支配者階層を『華族』と呼称する事が決められ、1884年に、華族令が制定されて、旧摂家、旧清華家など公家貴族や旧将軍家、旧大名家など武家貴族に家格に合わせた『公爵・侯爵・伯爵・男爵・子爵』の爵位が授与されることになりました。

明治政府の叙爵は、明治維新以前の家柄・家格や身分・地位、維新への勲功を元に、混乱を避ける為、機械的情状酌量を与えずに行われたと言います。
以前の家柄・地位・家格、維新への偉功・勲功によって割り振られた爵位は以下のようになります。



1.公爵

2.侯爵

3.伯爵

  • 公家貴族では、かつての昇殿制において内裏の清涼殿に上る事を許された堂上家(どうしょうけ)の内、大納言拝命の前例のある家格。
  • 武家貴族では、徳川御三卿(田安家・一橋家・清水家)、維新後の石高5万石以上の大名家(中藩知事
  • 国家に特別の勲功ある者

4.子爵

  • 公家貴族では、堂上家ではあるが伯爵に叙爵されなかった家格の者、維新前に再興した堂上家
  • 武家貴族では、維新後の石高5万石未満の大名家(小藩知事)、維新前まで諸侯(大名)だった家柄。
  • 国家に特別の勲功ある者

5.男爵

  • 公家貴族では、上位華族の分家・庶流、明治維新後に華族に列せられた者。
  • 国家に特別の勲功ある者



華族制度の名残は、かつての旧家・名家・大家といった呼び名で僅かに地方地方に残っていますが、最盛期には約900もあった華族の家柄の殆どが、現在では経済的に零落して、政治的な威勢も無くなっています。
政治的・経済的な特権や優遇措置を失ったかつての支配者階層達は、厳しい自由市場の経済競争の中で、以前のような華やかで優雅な貴族的生活を謳歌する事が困難になり、自分自身の実力と工夫によって経済的な自立を勝ち取る必要が出てきました。また、往時の格式に相応しい威厳ある政治的地位に無条件に就く事が不可能になり、庶民の普通選挙の洗礼を受けることが必要になってきました。

第二次世界大戦に敗北した日本は、GHQの管理指導の下で、法の下の平等華族制度の撤廃を明確に謳った日本国憲法を1947年5月3日に施行して、日本の爵位を有する華族(貴族)はその姿を歴史の狭間へと消しました。


この小説の舞台は、白樺湖畔に威風堂々と聳える豪華な洋館『鳥の館』であり、鳥の館の主人はかつての爵位制度において伯爵位を授与されていた由良昂允(ゆらこういん)である。
何故、鳥の館と呼ばれているのか、それは広大な邸内の敷地一杯に無数の鳥の剥製が置かれているからだ……今は亡き昂允の父・由良行房(ゆらつらふさ)伯爵は、高名な本草学者であり博物学者であったが、特に鳥類の熱心な研究者で、研究標本として世界中の鳥の剥製をコレクションする事が趣味であった。
行房伯爵は、博物学者であると同時に儒学者であり哲学者でもあって、その知的好奇心は留まる事を知らず、昂允にとって常に尊敬と敬愛の対象であり、目指すべき理想的な紳士、学者であった。

由良家当主が治める広大な『鳥の館』の空間には、物言わぬ静寂な剥製の鳥が異常なまでに多すぎる……玄関の左右にはコウノトリ弓手にハシヒロコウ、クロスキハシコウ、灰色朱鷺、シュモクコウ、馬手にはハゲコウ、大紅鶴(フラミンゴ)、箆鷺(ヘラサギ)、朱鷺、壁にはハゲワシ、ヒゲワシ、クマタカノスリ、チュウヒ、トビ、隼などの猛禽類がいる、大広間、食堂、書斎、客室、寝室、何処にでも様々な種類の鳥達が静かに居住者や来客者たちを見つめ続けている……それは尊敬すべき父親が残した大切な可愛い鳥達であり、既に昂允にとって家族の一員でさえもあるのだ。

由良昂允元伯爵が抱えている絶望的な苦悩と恐怖は、『鳥の館』に昂允の配偶者として嫁いでくる花嫁は、全て初夜の明け方にその生命を間違いなく奪われてしまうという事であり、その陰惨な花嫁殺人事件は一度や二度ならず四度も繰り返し行われている。
由良昂允は、今度の薫子との婚礼だけは何としてでも無事平穏に済ませたいと願い、新婚初夜の惨劇を未然に防止する為に、探偵・榎木津礼二郎に花嫁の生命の保護を依頼する事にした。
高熱を出して、一時的に視力を失い失明している榎木津の介添人として、重度のうつ病と対人恐怖に陥っている作家・関口巽が同行していた。

由良昂允は、作家としての関口巽の特異な才能と独自な感性に強い魅力を感じ、その著作『目眩』を何度も再読している。
由良昂允は、自らの生きて居る事の意味を否定し、絶望的な憂うつ感と対人恐怖に打ち沈む関口巽に対して、何度も同じ質問を、実存主義哲学者マルティン・ハイデガーのように執拗に投げ掛ける。

『貴方にとって生きて居ることと云うのはどのような意味を持つのです――』




『何故――僕などに問うのです』
私は結局、返答せずに尋き返した。
伯爵はいっそうに眉を顰めた。それでも、私にはその顔が哀しそうな貌には見えない。愚問を発する馬鹿者に対して、憐憫の情を投げ掛ける尊大な賢者の顔にしか、私には見えない。
『貴方が』
識っているからですよと、伯爵は云った。
『知っている――』
『はい。貴方は、そう、慥か最初にお会いした時です。その時、私が同じように質問した際に、迷わずにこうお答えになったんです』
伯爵は大きく手を広げた。
『生きて居ることに意味は――ないと』
『覚えて――いらしたのですか』
と――云うよりも、通じていたのか。
当然ですと、伯爵は大袈裟に応えた。
『憶えていますとも!能く憶えていますよ』
『しかし伯爵、あなたは――』
『生に意味はない――貴方は何の衒いも迷いもなくいとも簡単にそう仰せになったではありませんか』
――それは。
深く考えていなかっただけだ。
――それに。
仮令通じていたのだとしても。
伯爵が私の発した胡乱な回答に一滴でも汲むべきところを見いだしたとは、私には到底思えなかった。
何故なら、私はそれから幾度も伯爵に、無配慮を窘められ、賢者の知見を説かれ、無知を知らしめられたのだから。それでも私は何一つ感得することが出来なかった。幾度同じ事を問われても――。

(中略)

『私は貴方がその結論を得るに至った過程を明白に辿り擬らんがために、貴方に、そして自分自身に問い続けていただけです。常に疑い、問う。そうして得られた結論を再び疑い、問うてみる。それを』
『それをあなたは繰り返していたと――』
それで何度も。
そうですよと伯爵は大いに首肯いた。
『貴方が齎してくれた見解は私が到ることのなかったものでした。新しい知見だったのです』

(中略)

『だからと云ってそれが真理でないとどうして云い切ることが出来るでしょう!』
伯爵は許してはくれない。
『だからこそ人は模索する。宜しいですか』
伯爵は洋卓の上の杯を手に取って掲げた。
『この洋杯は――取り分け深い思索を加えずとも見た通りの洋杯です。一目見れば判る。しかし、私達は真理に向き合う時、多く眼を閉じている。見えなければこの杯とて杯とは知れない』
伯爵は眼を閉じ、華奢な意匠の洋杯の表面を、指でつうとなぞった。
『だからこうして――触れて、考える。この形は何だろう、この硬さは何なのだろう、この滑らかな表面は硝子だろうか――と。真理も同じです。何も熟考思案の末に行き着いたものだけが真理とは限らない。真理は人が捏ね上げるものではない。真理は既にして厳然として此処にある。しかし』
伯爵は瞼を開けた。
『これが真理なのか否かは、盲いた私達には確定出来ないのです。だから』
検証しなければならない――伯爵は杯を置いた。
『貴方が吐き捨てた言の葉が、本当に真理であるのなら、それは疑う余地のないものである筈だ。何故なら、真理に綻びはないからです』
『綻びは――ない』
『ありません』
『しかし』
『生に意味なし。何という達観』
『た――達観などしていません』

由良昂允元伯爵は、儒学者であり哲学者でもあって、博識多才で思慮深く、温厚毅然とした人物である。儒学の古典に出てくるような聖人君子の如き高潔で篤実な人格と完璧な礼容を兼ね備えた気品溢れる人物だが、彼の生育歴は非常に風変わりで奇異なものである。
親族の大叔父である由良胤篤と又従兄弟の由良公滋は、昂允と正反対の価値観と気質性格の持ち主で、端的に云えば、金銭や利権、贅沢な生活、女との遊興への欲求を露わにして、その欲求を行動原理とする俗物である。
当然、禁欲的な質素な生活と厳格な儒教道徳を重んじて隠棲する昂允と世俗的で経済的利益や利権、豪華な通俗的な娯楽を求める実業家の親族とは、水と油の相容れない間柄であり、昂允は卑俗で思慮浅き親族を心底軽蔑し唾棄していた。

由良昂允は、幼少時に心臓疾患を患って以来、体質が虚弱であった為、19歳まで外部の人間と一切接触せず、成人するまで鳥の館の外部の世界を知らずに成長した。
由良昂允にとって成人するまでは、鳥の館の建物こそが全宇宙であり、建物内部での生活と関係こそが、昂允の生そのものであった。

昂允の風変わりな生育歴とは、その世界認識の方法と獲得にある。
つまり、昂允は、実際の世界にある事物や現象を経験的に知覚することなく、書斎にある無数の書物を読む事によってのみ事物と現象を知り、世界に対する認識を拡大補強していったのである。
外界から隔絶された鳥の館という『閉じた世界』で、一切の直接的経験や体感的行為を排除して、膨大な世界についての記述が為された書物からの知識によって世界認識を組み立てる作業を通して昂允は大人になったのである。

この『陰摩羅鬼の瑕』という小説は、単なる驚愕的な犯罪解明のミステリー小説として読まれるだけではなく、本来、『開かれた世界』における経験と知識によって獲得されるべき正確な“事象と概念の対応”が、『閉じた世界』における知識の獲得に現実世界の認識を頼るほかない状況では、どのように変質歪曲されるのかという思考実験の仮想的記録として読む事も出来るのではないかと思う。
現実世界を実際に感覚器官で経験する事なく、世界を理解する為のあらゆる概念や観念を、0から純粋な情報の蓄積と記録の獲得のみによって即ち読書のみによって得る試みはどのような瑕疵を私達に与えるのかというような思考実験として読む事が出来る。
由良家の連続花嫁殺害事件は、そういった哲学的思索に添えられた装飾的な題材に過ぎないのかもしれない…人間の世界認識の形成過程と概念把握の環境設定を理解することによって『陰摩羅鬼の瑕』が示唆する怪奇的恐怖や人間心理の哀哭を深く自己のものとして感得することが出来る。

昂允伯爵が徹底的に拘泥する哲学的思惟は、生きて居るモノ=存在者生きて居るコト=存在の差異であり、彼の致命的な論理の矛盾と概念把握の瑕疵は、ハイデガーがその存在論的差異を巡る思索的営為において落ち込んだナチス肯定のレトリックや論理とオーバーラップする。

この小説を読み終えて、ハイデガーの『存在と時間』やフッサールの『純粋現象学及び現象学的哲学のための考案(イデーン)』を再読したい欲求に駆られ、儒教関連の古典文献を渉猟したい衝動に襲われた。
ハイデガーの論理の瑕疵とは、存在論的差異の壮大無比な本質に接近する過程において、現存在である人間の生命・主観性の価値を忘却したところにあるように思えるが、世界の全ての『あるもの』をあらしめている作用としての“存在”とは何なのかという問いに憑り付かれると果てしのない懐疑と思索の循環に呑み込まれる。
とはいえ、『存在の意味は、存在者の中でも特異な存在形式を持つ現存在である私達人間にしか解き明かせない』という事もまた確かであり、いずれは死すべき運命にあるという事実に直面する『本来的な在り方』を自覚し、安穏平和な日常性を脱却する時点において存在と対極にある非存在を直観できるのかもしれません。

しかし、私達が念頭に置いておくべきなのは、存在と非存在の狭間で揺れる本来的な不安な存在者である私達が認識する価値や意味は、存在を巡る言説とは無関係であるという事であり、非存在と死は必ずしも同義ではないという事ではないでしょうか。
形而上学的な観念・概念を操作する思考に囚われすぎる余り、現実的な人間感情による悲哀や苦悩を無視するような冷厳とした態度や価値判断に行き着くのは拙劣かつ安直であり、倫理的に取り返しのつかない誤謬や錯誤に陥る恐れもあります。ナチスホロコーストのような人類史上の悲劇や罪悪さえも、存在と非存在を巡る形而上学的な思索を捏ねくり回す事によって免罪される可能性があります。

最終的に存在の意義を判断する際に用いる判断基準は、結末としての非存在(世界からの消滅)を見据えた機械的な価値判断ではなく、結末に到るまでの時間を自律的に生きる『主観的な個人の生』や『唯一性を持つ個人の生命』を最大限に尊重する価値判断であるべきです。