『政治とカネ』の問題と派閥政治の衰退

昨今、話題に上る事の多い『政治とカネ』の問題とは、今まで日本政治において暗黙の了解としてあった『金権政治・利権政治・派閥政治・陳情政治』などの総体である。
それらは、田中角栄によって日本列島改造論が高々と提唱された社会インフラ基盤が未整備な時代には、必要悪的な部分もあったが、主要幹線道路が日本の隅々までほぼ行き渡り、電気・水道・ガスなどのライフラインも確立した現代にあっては政治の公正性や倫理性を害する悪しき慣習に成り下がってしまっている。
政治資金を『氷代』『餅代』『見舞い代』『お車代』などと本来の用途は別の名を偽称するかのような形で、毎年の恒例行事の如く配るというのは、やはりまっとうな市民感覚からは抵抗感と違和感がある。こういった問題は、安倍晋三前幹事の長悪しき慣習の廃止と政党支部への直接振込の実施で解決される事になったのだが、まだ迂回献金などの問題が残ってはいるようだ。

疚しいところのない正当な手段によって獲得した政治資金であるならば、堂々と『政治資金・政策活動費・政治活動の必要経費』などとして計上し情報公開して何も恥じることはないのだから、それを殊更おかしな経路を用いて資金獲得したり、名称を偽ったり、公開せずに隠蔽したりするから痛くない腹まで探られる事になるという事に気づくべきだ。
何処からの政治献金か明らかに出来ないと言う政治家達の多くは、俗に言う“族議員”と推測できるが、特定団体や特定集団の利益拡大の為に政策立案や票集めに奔走する国家的視点のない政治家には辞めて貰って何の問題もないというのは(族議員と利害関係の無い)国民の一致した見解であろう。

自由民主党抵抗勢力)をぶっつぶす』と意気軒昂に息巻いた小泉首相の改革路線にも安直な妥協が多くなり、既存の悪しき慣習や構造を破壊するような威勢はもう見る事が出来ない。政権交代の差し迫った危機が訪れないのは、現在の自民党には小泉氏に変わる有力な人材の姿が見えないからという理由だけかもしれない。
ただ、小泉首相の果たした自民党解体の役割の中で、注目すべきは『派閥政治の衰退』と『族議員の影響力の低下』であろう。これは、確実に小泉政権前と現在とでは状況が変化してきているという事を実感できる数少ない彼の政治活動の成果の一つと言えるだろう。あまり好ましくないという意味での状況変化は、急速な新自由主義的経済政策の導入、外交関係や国家安全保障政策などの視点で幾つかあるが、それはまたの機会に語りたいと思う。

『政・官・業』癒着構造を支える族議員の影響力低下の兆しは、かの鈴木宗男衆議院議員の逮捕の頃から少しずつ見られ始めていたが、この最大の原因はバブル崩壊後の日本経済の低迷にあるだろうし、それと連動して、地方(農村部)への不必要な過剰分配=利益誘導型政治を不可能にしつつある財政破綻が影響しているといえるだろう。中央から地方への利益誘導型政治の終焉が近付いているのは、地方自治の趨勢の高まりにも見られる。それは、具体的には過疎地域の市町村が大きな市に吸収合併される流れとしても感じることが出来る。

派閥政治衰退の流れを決定的に印象付けたのは、やはり、橋本龍太郎元首相の日本歯科医師連盟からの不正な一億円献金問題であろう。あの献金事件に対する橋本氏の曖昧で潔くない態度には派閥の領袖としての威厳や貫禄など微塵もなく、自民党最大派閥・橋本派は手痛い打撃を受け、未だに後継者も出て来ていない。余談だが、橋本龍太郎の弟で、個性派の地方分権推進派として一時期注目を浴びた高知県
知事の橋本大二郎氏も献金問題で知事の席を追われたのは何とも皮肉である。
派閥政治の衰退と利益誘導型政治の行き詰まりは、密接に関係しており、選挙制度改革で小選挙区制度が導入されて派閥公認を貰う必要が大幅に減ったことも派閥衰退の流れに拍車を掛けた。

日本の選挙や政治活動には膨大な金が掛かるらしい為に、『政治とカネ』問題の根本的解決は難しいが、一番大切な事は政治資金のカネの流れと献金元を情報公開して透明性の高い献金の構造を作ることであり、税金による政党助成金などが不正な用途に使用されないように国民の監視の目を強める事である。また、IT技術の進歩を安価な選挙活動に役立てない手はないと思うし、選挙資金の都合が付かずに立候補出来ないような有為な人材でも立候補できるような開かれた選挙制度を革新的に作り上げる必要も感じる。